喫茶去

強化練も2日目に入りました。今日はみっちり稽古ができたのではないかと思います。

海部先生には午前午後と長時間ご指導いただきました。濱中先生も昼休みを割いてご指導下さいました。本当にパワフルな先生方です。ありがとうございました。

また、準備から片付けまで安座間さんには御付き合いいただきました。ありがとうございます。

 

さて、タイトルの「喫茶去」という言葉。先日面白い話を聞いたので、お話させていただきましょう。

 

唐代末、趙州禅師という高僧がおりました。ある日2人の修行僧が禅師のもとを訪ねてきました。

1人目の修行僧に禅師は「以前ここに来たことがあるか?」と聞きました。

すると僧は「来たことがありません」と言いました。

禅師は「喫茶去」と言いました。

2人目の修行僧にも禅師は「以前ここに来たことがあるか?」と聞きました。

すると僧は「来たことがあります」と言いました。

禅師は「喫茶去」と言いました。

側に控えていた弟子が、「なぜ禅師はだれにでも喫茶去というのですか?」と聞きました。

すると禅師は「喫茶去」と言いました。

 

喫茶去という言葉は「まあお茶でもどうぞ」と受け取られがちですが、本来は叱咤する言葉です。

「お茶でも飲んで出直してこい」という意味も含まれています。

一服の茶を飲むというという行動を通して、時には「お茶をどうぞ」となり、時には「お茶飲んでよく考えろ」となるわけです。いわば一服の茶は自分の状況の鏡映しのようなものでもあります。

みなさんは一服の茶に何を思うでしょうか?以上曽我でございました。